木炭を焼成すること、またはその業者。炭焼きはおもに山間農民の冬期の兼業として近年まで広く行われ
てきたが、その一般化はむしろ明治期以後で、古い専業的炭焼、黄金の価値も知らずにいたという「炭焼き長者伝説」にもこうした古い炭焼きの姿は反映している。
平安期の貴族生活には暖房用に木炭が使われ、さらに中世以後、茶の湯の普及と都市生活の発展に伴ってその需要もしだいに増していったので、京坂周辺にはそのためいくつかの製炭地(丹波(たんば)、近江(おうみ)など)が形成され、若干は製炭専業の山民も生じたらしい。しかし久しく一般農民のおもな燃料はいろり中心の薪(まき)で、自給用の炭焼きも古くからあったらしいが、その手法はきわめて簡略なもので、「炭かまど」を構築するまでには至らなかったらしい。モソロ、エダヤキ、バラズミヤキなど薪材を焼いて土をかぶせるか、あるいは坑をうがって薪材う蒸し焼きにするといった旧手法はいまも若干山村に残っている。
近世に入ると、都市生活の一般化に伴い木炭の需要が高まって、製炭業もしだいに広まり、「炭かまど」を築いての製炭手法が創案された。都市周辺の山村には農民の兼業的炭焼きがしだいに増加していったが、なお木炭の一般需要は限られており、また製炭手法も未熟であった。木炭が薪材にかわる重要な燃料になるのはむしろ明治以後である。広く中国の山村に冬期兼業としての製炭稼ぎが一般化するのは明治末期以後のことで、黒炭・白炭などの製炭技法も格段に進んだ。そして国有林が東北山村などではその主給源になり、ときには「焼子」を雇っての大掛りな製炭業も一部には生じた。しかし今日、いわゆる「燃料革命」の結果、炭焼きはまったく過去のものと化しつつある。
(Yahoo百科事典より抜粋)
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